波の音がする。磯の風に乗って鳥達は鳴く。
沈んでいく夕日は海に映り、金色の世界が広がっていく。
王国から出ているクカット大陸までの定期船の上。
甲板に備え付けられた椅子に座り、愛用の楽器を手に取ると、その歌口にそっと自分の唇を寄せた。
クラリネットの音がする。
波の音、風の響き、そして鳥達のコーラスと共に。
スラトビエ大陸北西の山岳地帯にある竜に護られし国、フォルケルンハイム王国。
私が生を受けたのは、そんな名前の国だった。
物心ついた時には既に父の姿はなく、母に尋ねても答えが返ってきたことはない。
一度だけでいい。父の姿を、顔を見てみたい。そんな想いを抱えて過ごした幼き日。
けれど、成長を重ねる長い時は、やがてそんな想いすら忘れさせていった。
成長した私は、王国が認定する護国武装集団である『フォルケルンハイム交響楽団』に入団する。
入団の条件は風竜の加護を受けていること。
つまり王国の人間のうちでも一部に生じる力、風を操る能力を持っていること。
幸運にも私にはその力があったのだ。
でも、ある日私は知る。
父さんが消えた理由。竜消失事件の手掛かり。虚無の存在。
調べても何もわからなくて、急に過去の想いが堰を切る。
そうして旅立った、今日。
悪い子だなぁ。私は。
母さんは私の旅立ちに驚きはしたものの、笑顔で送り出してくれた。
それが返って、心に痛い。
父さんがいなくなって、それでもずっと私を女手一つで育ててくれた。
家事手伝い等をしているせいか、水に腫れた手。そんな母さんの手が大好きだった。
それなのに、今度は私が出て行ってしまう。
ごめん。母さん……。
波の音がする。磯の風に乗って鳥達は鳴く。それらは遠く向こうへ消えていった。
父さん……。父さんも、この海の向こう側にいるのかな。
そんなことを思いながら、クラリネットから唇を離す。
と、拍手の音が小さく響く。
「綺麗な笛の音でした」
突然かけられた優しそうな声に驚き振り向いて、私はまた驚いた。
うわぁ。
金髪に金の目をした男の人。金色の海も合わさって、なんだか輝いてる。
おっと、あまり人のことじろじろ見るもんじゃないよね。
「えぇと。ありがとうございます」
曖昧に笑みを返した。
男の人は、私の視線をどう解釈したのか数度納得したように頷く。
「私はシャルル。旅の者です。あまりに笛の音が美しくて、つい話しかけてしまいました」
愉快そうに笑う彼。えーと。
「私は、その、クラリネットです」
「その笛と同じ名前ですね?」
「あ、はい。えーと、そうですね」
突然あまりにも人の良い笑みを向けられて、どうしたものか。
「……旅、というと、探し人とか?」
とりあえず当たり障りのない質問、のつもりだった。
自分もそうだから、そんな風に聞いただけ。
けれど、シャルルは答えずに海を見つめる。
その瞳はひょっとすると海よりも遠くを……。
「ええ。そうです」
はっとする。彼はいつのまにかこちらへ向き直っていた。
「竜を探しています。金色に輝く、美しい竜を」
「竜、ですか。私と同じですね」
なんだか心強い気分だった。
竜を探して旅をしているのは、私だけじゃないんだ。
「貴方も?」
聞き返す彼に頷く。
「というか、お父さんなんですけどね」
「お父上、ですか?」
短く肯定を返しながら、羽織っていた上着を脱ぐ。
「その翼……ああ。貴方は竜族の方でしたか」
「翼はあっても、飛べないんですけどね。えへへ」
座りながら、少しばかりの時間をシャルルと話して過ごす。
知らない人。知らない話。知らない時間。知らない世界。
旅をするというのはこういうことなんだって、改めて実感する。
「さて、そろそろ昼寝をしている連れが起きる頃かと思いますので」
それが談話を切り上げる合図。
「楽しい時間でした。それではまた」
「あの。船が着いたら、どの辺りまで行くんですか?」
つい、引き止めるように声をかけてしまう。
「貴方は?」
問い返されてしまった。
「ええと、帝国まで」
「私達は港街で一ヶ月程滞在してから、海上の塔……いえ、小島まで向かうつもりです」
それじゃあ一緒に旅を、というわけには行かないかな。
手掛かりのことを考えると、私は早めに帝国へと向かわないといけない。
少し、残念。
……ううん。知っている人がいたら心強いとか、そんな甘えは捨てなきゃ。
そんな心を読んだのか、シャルルは優しく微笑んだ。
「予約の関係で、一ヶ月は港町にいます。もし機会があれば、またお話をしましょう」
その言葉が、なんだかとても嬉しくて、
「は、はい!」
ついはしゃいだ返事をしてしまう。
それで、私達は本当に別れた。
それからぼんやりと、日が沈んでいくのを見ていた。
藍色に染まっていく海を見ていると、あれ?
なんだか向こうが騒がしい。
「これは……」
近づいてみて、わかった。
黒ずんだ海水。それを撒き散らしながら向かって来るのは大量の魚、のような生物。
魚といっても一匹ごとが巨大。鱗は岩のようで、生えた牙はそれぞれが短刀みたい。
でも、私は驚かない。
武装集団たるフォルケルンハイム交響楽団での戦いでこういった奴等は見慣れてる。
そして、あの魚達は恐らく虚無に取り付かれた……。
「皆さん、どいてください」
いっきに走り出して、舳先に飛び乗る。
「私は交響楽団の人間です。こういった事態にはお任せ下さい」
「お嬢ちゃん、無茶だ! 海の中だし、あんなにたくさんいるんだぞ!」
制止の声は聞かない。
ゆっくりと、自分の楽器……得物の歌口に唇を寄せる。
「敵が多いって? 関係ないよ。私の音波攻撃は――」
波の音がする。磯の風に乗って鳥達は鳴く。
魚達は躍る。私達という獲物を求めて。
風の動きを感じる。内に集まっていく力。その全てを、解放する。
そう、私の音波攻撃は、
―――目標範囲全てを破壊する!
人に取り付き心を穢す存在。
この世界に崩壊を招く存在。
最後に全てを無に還す存在。
虚無。
父さんや他の竜達はそれを追い、倒す為に姿を消したのだという。
虚無たちは人や獣に取り付きながら、今も世界を滅ぼそうと暗躍しているという。
なら、きっと虚無を倒しながら、手掛かりを追っていけば……。
父さん……。父さんも、この海の向こう側にいるのかな。
想いは風に乗り詩を紡ぐ。
願いは海を渡り曲を奏でる。
世界の謎。数多の人々の想い。竜を廻る協奏曲。
風竜の末裔たる少女の、竜を追う旅はここから始まる。
―――Sky of Dragon Concert
さあ、冒険を始めよう。