「待って。待ってよ、リリアー」
「あんた達も早く来なさいよ!」
 後ろの男の子達に声をかけて、私は草を掻き分ける。
 身体の小さい私達妖精にとっては、そんな作業だって一苦労。
 軽く汗を拭ってそんな場所を進んでいく。
 もちろん空を飛ぶのは御法度よ。そんなことしたらつまらないもの。
 と、そんなことを考えているうちに視界が開けてきた。
「うわぁ」
「はぁはぁ……。す、凄いや!」
 やっと男の子達が追いついてくる。
 そこに広がっているのは一面に咲き誇る銀色の花。
 太陽の光を受けてきらきらと光る。まるで雪みたい。
「これが、ライレトスの花……」
 私達の村を守る神秘の花。
 大人の目を盗んで来た甲斐があったというものだわ。


 私達の一族は、他の妖精と比べて寿命が短い種族だった。
 せめて過ごしやすい地に住まおうと、ご先祖様は世代を重ねながら旅をしたのだと云う。
 人が減り、ついにこの種も終わりかという時、辿り着いたこの地。
 ここに居を構えてからは、不思議なことに短命の運命が覆された。
 その理由がこの花、ライレトスの花の蜜にある。
 長年蜜と呼ばれているライレトスの蜜を飲むと寿命が延びるとかうんぬんかんぬん。
 でもそんなことより私は、この一面に咲き誇る綺麗な花を見れたことが嬉しかったんだ。
 いつも蜜は大人が取ってくるから、子供は見ることができなかったこの花の姿。
 私達は笑い合いながら、この銀の世界を目に焼き付けた。
 いつまでもこの平和な世界があるのだと、そう思い続けていた。
 この時は、まだ。


 ある時村の会議の席に、子供を含めた全ての村民――といっても三十人くらいだけど――が召集された。
 その席で村長が告げた事実はとても重大なものだった。

 村長が言うところによると、最近ライレトスの花の蜜が取れなくなってきているらしい。
 それどころか、近年の気候の変化で花自体が徐々に減っているのだと。
 大人達も薄々は気づいていたのかもしれない。
 反論は、なかった。
 そしてその事実、村を存続させてきた花が絶滅してしまうという事は……村存続の危機をも意味していた。

 今は世界から姿を消してしまった旧き竜ならば何とかできるかも。
 そう誰かが言った。
 けれど誰だって、どこにいるかもわからない存在を探す危険な旅になんて出たくない。
 それよりも残った人生をどう過ごすかの方が重要な事。

 だけど。

 だけど、私はこの村が好き。
 家族や友達や村の人が好き。
 ライレトスの銀色が好き。
 皆、大好き。
 皆がいなくなるなんて嫌。

 そう強く思った。


 だから私は、村を抜け出して竜を探す旅に出た。



 そんな夢を見た。
 眠るつもりなんかないのに、何時の間にか意識を失っていたらしい。
 ああ、そうだ。最近身体に力が入らなくて、しかも何も食べてなくて……。
 ならあれは、夢というよりも死ぬ前に見る回想ってやつなのかしら。
「………」
 ……お腹、空いたな。
 旅なんて、もっと気楽で楽しいものだと思ってたのに。
 身体を無理やり起こす。
 クカット大陸の港町。その市場の影。
 海から流れてくるべたついた潮風が、今は不快な気分だった。
「お腹、空いた……」
 本当に飢えて死んでしまうかもしれない。
 こんな所で倒れたら、せっかく竜を探しに出た意味がないのに。
 お腹空いた。お腹空いた。お腹、空いた……。
 死にたく……ない。

 そんな時、目に入った。

 木箱に詰まれたたくさんの果物。りんごの色が綺麗で、美味しそうで……。
 お腹が空いた。死にたくない。だから、本当はしたくないけれど、だけど……、


 気がついたら、りんごを抱えて空を飛んでいた。
「ま、待て! ドロボー!!」
 待たない。いけないことだってわかってる。でも待たない。
 だって、死にたくない。まだ何もしていないのに。
 逃げる。逃げる。逃げるのに夢中で気づかなかった。
 ふらふらと歩いていた銀髪の女の子にぶつかる。
「どいて!」
 捕まりたくなくて、謝ることもしなかった。

 泣きたい気分だった。


 辿り着いた丘の上で、私は果実に噛り付いた。
 食べる。とにかく食べる。
 なのに、何故かお腹が一杯にならなかった。
 村にいた時はこれより小さな果実でもお腹が膨らんだのに。
 だから私は、食べる。食べる。食べ……、

「こんな所で食道破裂でも起こす気?」

「!?」
 突然声がした。深く響く女性の声。
 声のした方へ振り向くと、丘の木の上に座っている黒い服をした女の人。
「人死には面倒だから簡便願うわ」
 木から飛び下りて来る彼女。肌は白いけど、髪も瞳も真っ黒で、そこだけが白黒。
「な、何よあんた。私がどうなろうと勝手じゃない!」
「そうね。死ぬも生きるも貴方の勝手。邪魔したわ」
 彼女は立ち去ろうとする。その態度が余りにも冷たくて、
「ま、待ちなさいよ!」
 何故か、引き止めてしまった。
 それでも彼女は行ってしまうだろうと、そう思っていた。けれど、
「ふぅ」
 仕方ない、とでも言うように、女性はこちらへと引き返してきた。
「言っておくけれど、貴方のそれは空腹によるものじゃないわよ」
「……え?」
 その言葉とともに、ふわり、と頭を撫でられる。
「“泡沫の魔女”たるカティーナの名において命ずる。生命の力よ、集え」
 それは何かしらの魔法のようだった。
 カティーナ。それが彼女の名前みたい。

 言葉と共に満ちる光は気持ちが良かった。まるで陽だまりの中にいるような感覚。
 暖かい手の平。優しい光。溢れてくる元気。

「原因は生命エネルギーの欠如。貴方、よほど人間の世界が合ってないのね。常に膨大な生命力を消費しているわ」
 私はカティーナに問う。
「い、今のは?」
「気にしないで。これが“泡沫”である私の力なの」
「?」
「なんでもない。それじゃあ」
 言っていることは良く分からない。だけど、
「ま、待って」
 私は背を向けて歩き出すカティーナの服の袖を掴んで、彼女を引き止めていた。
「教えてほしいの。この世界のどんなことでも知っている竜がいるらしくて、その竜について貴方は何か知らない?」
 必死に問う。知っていなくとも、何か手がかりくらいはと。
「全知の竜、か」
 ぼそりと、カティーナの呟きが聞こえる。焦らずに彼女の言葉を待つ。
「そう、貴方も竜を探しているのね」
「貴方もって、じゃあ」
「ええ、私も探しているの。と言っても、貴方とは違って全癒の竜をだけれど」
 全癒の、竜?
 私の顔を見て考えを読んだのか、カティーナは続けた。
「あまねく全てを癒すと言われている竜よ。私には、その竜が必要なの」

 彼女は私の顔を見つめる。
 その瞳は深く堅い決意に満ちていて、なんだか誇らしげに見えた。
 何故だか強い親近感を感じた。
 そして、ふと思う。
 全癒の竜。なんでも癒せるというのならきっとライレトスだって……。

「ね、ねえ」
「何?」
 いきなりこんなことを言ったら嫌な顔をされるだろうか。でも構わない。
「私も、貴方と一緒に連れて行って」
 人間の世界じゃ私は長く旅を出来ないらしい。
 でも彼女の力があって、全癒の竜の手がかりを持っているとしたら……。
 そんな期待に彼女は溜め息で返す。
「遠慮しておくわ。貴方と馴れ合うつもりはないの」
「でも!」
 彼女には彼女の旅する理由があるだろう。
 それでも。
「私にも、竜が必要なの! 村の人達が好き。ライレトスの花が好き。私自身だって死にたくない! だから……お願い」
 言ってることは無茶苦茶だけど、でもこれが私の気持ち。
 祈るような思いで目を瞑った。
「ふぅ……」
 答えの代わりに聞こえてきたのは溜め息がひとつ。
 それはどういう意味なのだろう。
「貴方、名前は?」
「……リリア」
 真意の読めないままに答える。でも、名前を聞くって事は……、
「リリア、ね。まあ勝手にすれば?」
「じゃあ!」
 同行を許して、もらえたのだろうか。
「勘違いしないで。私は自分の旅を続けるだけ。リリアと道が一緒な分には気にしないってだけ」
 冷たいように聞こえる物言いだったけれど、確かな優しさを感じる声。
 他には何も言わずに歩き出す彼女を、私は追いかけた。



 生命を失い往く運命にある妖精はその旅の標を得た。
 生命を与え往く運命にある魔女はその旅に連れを得た。
 それは確固たる絆ではないけれど。


「あ、そう言えば、貴方の名前、聞いてない!」
「魔法詠唱で聞いてたでしょうに」
「こういうのは礼儀なんだから! 私だけ名乗ってるなんて変なの!」
 知ってたとしても、やっぱり自己紹介は必要よね。
 彼女の横に並んで返事を待つこと五十歩。
 面倒くさそうに、でもはっきりと、彼女は自分の名を名乗った。


 繋がりを得た運命の糸。
 縫い合わさる世界という名の織物。
 彼女達は未だ虚無の存在を知らぬ。
 彼女達は未だ竜の在り処を知らぬ。
 だが未知故にその旅は無限の模様を見せる。



―――Sky of Dragon Concert

 さあ、運命の機を織ろう。