賑やかな宿屋の食堂には、ずいぶんと色々な人がいる。
旅の商人や冒険者など、旅をする全ての人のために、この宿屋はあるのだ。
お酒を飲んで酔っ払っている孤独な人、大勢で話し合ってる人たちもいる。
その中でノエルは独り、何をするでもなく座っていた。
ノエルは眠たそうな目をキョロキョロさせて、周りを見ていた。
どうも落ち着きがない。
そのうち、ノエルは木製のテーブルにうつぶせになる。
テーブルの木目を眺めながら、ノエルは食堂を満たす騒がしい声を聞いていた。
温かい空気がノエルを包み、彼はそのまま眠りたくなった。
そして静かに目を閉じてみた。
まるで音だけの世界にいるような感じがする。
「ねぇ、あなた1人?」
突然、声をかけられてノエルは驚いて顔をあげる。
ノエルの横に、1人の少女が立っていた。
栗色の髪に、緑色の目をした可愛らしい子である。
「1人・・だよ。」
ノエルはゆっくりとした口調で応える。
それを聞くと、少女はニッコリと笑って見せた。
「私も。隣り、座っていいかな?」
「うん・・・」
応える前に、少女は早々と隣りに座った。
ノエルはその少女をしげしげと見つめた。それに気づいた少女はまた笑う。
「わたし、ドロシー。あなたは?」
少女がそう言って、ノエルの顔のすぐ近くまで顔を近づけてくる。
ノエルは少し顔を後ろに引きながら応えた。
「ノエル・・・」
「あなた、冒険者か何か?」
「まぁ・・・」
「本当?ね、何で旅してるの?今までどんな冒険したの?」
聞かせて、と言うようにドロシーが前のめりになって、ノエルに詰め寄る。
ノエルは質問の嵐に驚いて、少し戸惑いながらも、応えていく。
「僕は・・・・竜を探してるんだ。でも冒険なんて、スゴい事はしてないよ。」
そして応えながら、思う。この少女は、何故こんな事を聞くのだろうと。
ドロシーは目を輝かせながら、また聞く。
「竜を?どうして?」
ノエルはその質問に、びくっとする。
何故だか、自分が咎められた気がしたからだ。
「僕は使い魔なんだ。主人から自由になって・・・。
だけど・・・・自由になったのはいいんだけど、僕は僕が何をすればいいのかよく分からなくなったんだ。」
ノエルは考えながらゆっくりと言う。
自分の意思を再確認するように。
「僕は・・・不完全なんだ。自我があまりなくて・・・だから、竜に直してもらおうと思って。
ほら、竜って頭いいんでしょ? 人造人間の再製造の方法を知ってるかもしれない・・・・」
そこまで言って、話すことがなくなり、ノエルは黙ったままでうつむいてしまった。
ドロシーが何を言うのを待つつもりだったが、何故かドロシーは何も言ってこなかった。
不思議に思い、ドロシーの顔を見ると、ドロシーは目を見開いてノエルを見ていた。
瞳孔が開き、真ん丸い目がノエルをじっと見据える。
そしてドロシーは口を開き、抑揚のない声で言った。
「ノエル、あなたの髪、とっても綺麗ね。」
「え・・・?」
急激に態度を変化させてしまったドロシーに、ノエルが戸惑いの声をあげる。
その声を聞いてか聞かぬか、ドロシーはさらに続けた。
「目も綺麗だわ。宝石みたい。」
ドロシーがノエルの青い目を見つめる。
「いいなぁ。ねぇ、それちょーだい。」
ドロシーが笑って、いきなりノエルの両頬に手を当てる。
そのままぐいっとノエルの顔を引き寄せると、その唇を重ねた。
ノエルは驚いて、何もできない。
すると、ドロシーの身体に変化が起きる。
栗色の髪は鼠色に。
緑色の目は青色に。
可愛らしい顔は、どこかで見た顔つきに。
そう、ノエルに。
ノエルは驚いて椅子から立ち上がった。
目の前にいるのは、紛れもない自分の姿である。
だが、目の前にいる自分は、いつもの自分では絶対に浮べない嘲笑を浮べていた。
ノエルは口を開いて、小さく問うた。
「君は・・・・?」
だが、その答えが返されることはなかった。
もう1人のノエルが、短剣で襲い掛かってきたのである。
ノエルは咄嗟に、袖口から短剣を出して、それを受けた。
金属度押しがぶつかり合う高い音が食堂に響く。
食堂の人々は、皆、唖然として2人の方向を見ていた。
短剣が何度も音を響かせ合う。
ノエルはもう1人の自分に、大きな声で聞いた。
「君は誰!?何で僕と同じ・・・」
「違うわ!私があなたと同じなんじゃない。あなたが私と同じなの!」
ドロシーだと思われる口調であったが、声は明らかにノエルのものだった。
ノエルは困惑する。
「私は2人もいらないの・・・。だから、消えてっ!」
短剣が3本、ノエルめがけて飛んでくる。
ノエルはそれを持っていた探検で跳ね返すと、ひらりと跳び上がり、テーブルの上にのる。
もう1人のノエルも同じように、テーブルの上に舞い上がると、そのまま勢いよくノエルに短剣で挑んでくる。
ノエルはそれを避けて、後ろに下がった。
テーブルの上にのっていた陶の食器が、音を立てて床に落ちる。
(この子・・・・僕と同じ使い魔?)
ノエルは何度も短剣を避けながら考える。
(そうだ。聞いたことある・・・・"ドッペルゲンガー"のドロシー。)
本体を持たないと噂される使い魔。人の姿を奪い、その人となってしまう。
短剣が大きな音をたてて、ぶつかり合った。
ノエルが短剣を振るいながら、話し掛ける。
「君・・・君は何でこんな事をするの?」
もう1人のノエルは叫ぶように応える。
「何で!?私は『私』が欲しいからよ!だから皆から奪うの!でも、どれも『私』じゃなかったわ!」
ノエルは目の前で自分自身が泣いているのを見た。
もう1人のノエルは短剣を大きく振り下ろす。
刃が欠けたような音がした。
「ねぇ、何で泣いてるの?」
「違う!私じゃないわ!泣いているのはあなたよ!」
言われてみて初めて気づいた。
ノエルも、もう1人のノエルも涙を流している。
「あなた、空っぽでしょ!私と一緒でしょ!分かるわ!だって、あなたは私なんだもん!」
もう1人のノエルが狂ったように叫ぶ。
「だから泣くんでしょ!あなたが私だから、泣くんでしょ!自分が分からないでしょ!だからっ・・・・」
「違うよ・・・・」
ノエルが小さく言った。
その言葉を聞いた途端に、もう1人のノエルは手を止める。
「君は君だよ、君はドロシーでしょ。僕は僕、ノエルだ。」
ノエルがもう1人の自分を指差しながら、ゆっくりとした口調で言った。
「だから、違う・・・・」
「・・・・・・っ」
ノエルは目の前で自分が大泣きしているのを見た。
もしかしたら、自分も泣いているのかもと思い、目元に手をやった。
しかし、そこには先ほどの涙が乾いているだけだった。
次の日の朝。
ノエルは宿屋を出た。食堂はあの後、大騒ぎになった。
なんたって、ノエルが2人もいて、どちらが喧嘩をけしかけたのか分からなくなってしまったからだ。
宿屋の主人も困っていたようで、結局、ノエルは騒ぎを起こした事を許してもらえた。
扉を開ければ、朝の気持ちの良い空気が身体中に染み渡る。
ノエルは大きく深呼吸した。そして、それから扉の中にいる人物に声をかける。
隣りに並んだのは、緑色の目をしたノエルだった。
―――Sky of Dragon Concert
さあ、その術を探しに行こう。